2023年10月13日金曜日

30年目にして異文化体験

 





先日、あれだけ市内の路線バスを褒めちぎったばかりなのに、今回は真逆の記事になってしまう。


我が家に一番近いバス停は、駅を始発、あるいは終点とする市内循環バスが通っている。その他にも、駅から隣村まで行くバスが、朝夕一本ずつのみ我が家に一番近いバス停を経由している。高校があるので、隣村の子供達にとっても需要があるとみての計らいと思われる。


この隣村まで行くバスは、駅からあまり寄り道をせずに、比較的直線距離で走るので、待てど暮らせど姿を現さない横道に入る市内循環バスを待っているよりも、効率よく我が家に帰ることができる時もある。隣村に向かう国道に入る手前のバス停で降りて、ちょっとした坂を歩かねばならないが、わりかし気に入っている。


しかも、夕方、うまく乗り合わせれば我が家に一番近いバス停経由に乗ることもできるのだから、使わない手はない。そう思い乗り込み、携帯でメールチェックなどをして、ふと車窓を眺めたらバスが国道を突っ走っているので大慌てをしたことがある。


運転手のところに行って、高校前のバス停には行かないのか、と問うと、そんなところには寄る予定はないと一蹴されてしまう。それなら、ここで降ろしてくれないか、と村まで延々と続く草原を横目で見ながら嘆願する。無理だ、と突っぱねられる。幼い子供が待っているので、後生だからお願いします、と言っても運転手はアクセルを踏むばかり。加えて、バスの乗客の子供達の失笑を買ってしまった。


そんなことは無いはずだ。さすがにバスに乗る時に、しっかりと高校経由と書いてあったではないか。ところが、驚いたことに先ほどまで掲示されていた停車場所を示す画面は電源オフとなっており、画面には何も出ていなかった。


あの時は、ぷんぷんと怒りながら、それでも仕方なく、最初に着いた村のバス停から、全速力で走って家に帰ったものだった。幼い子供、つまりトンカのことであったが、トンカが待っていると思うと、息が切れるのも忘れ、走った、走った。


あんな馬鹿な思いはするまい、そう胸に刻み、隣村に行くバスは鬼門とばかりに、暫く乗らずにいた。それでも、市内循環バスは当てにならず、ふらふらと乗ってしまうことがある。そんな時には、確実に国道手前のバス停で降りて、歩くことにしていた。


ところが、である。今にも空から大粒の雨が降ってきそうな曇り空の夕方、駅のバス停でいつもの市内循環バスを待っていたが、待てど暮らせど来ない。隣村に行くバス停には「高校経由」と明示されたバスが停まっていて、高校生たちがぞろぞろと乗り込んでいた。


その日は、なんだか疲れが溜まっていて、思考も空の様にどんよりとしていた。よし、乗ってしまおう。バスの中は中高生でぎゅうぎゅうだった。やれやれ、そう思いながらも、バスに揺られ、何を考えるわけでもなく、ぼんやりとしていた。


ぼんやりとし過ぎだったのだろうか。国道に入る手前で、「停車」ボタンを押したが、バスは平気の平左で国道に入り、「高校」に向かうために左車線に入ることもせず、スピードを上げて猛烈に隣村に向けて走行し始めた。


おい、おい、おい!それはないじゃないか!


学習効果がない、と言われればそれまでだが、別の面での学習効果はあって、こうなったらどうにもならない、と覚悟を決め、大騒ぎはしないことにした。そんなエネルギーはどこにも残っていなかった。


嗚呼、大声を上げねば正論も通らない社会。まさか、表示されているバス停を通らずに、突っ走るとは思いもよらなかった。確かに、通常のルートに比べ、寄り道にはなる。しかし、だからこその高校経由バスなのではないか。怒りを通り越して呆れてしまうし、むしろ、天晴。


かつ、私以外の乗客は、誰も慌てた様子もなく、隣村まで早く到着することをむしろ歓迎していることも驚きだった。まあね、そんなものかしらね。


今回は慌てず、走らず、やや早歩きで、隣村から広大な草原を横目に見ながら家路を急いだ。駅から歩いて帰った方が早く家に着いたのだろうな、と思い、何年住んでいてもサプライズはあるものだな、と自嘲気味に笑ってしまう。人々の習性というものは、分かっているようで、分かりにくいものなのなのだろう。30年目にして改めて異文化体験とはこれまた如何に。いやはや。



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