プーノの朝は早い。
太陽が標高3850メートルの水平線を焦がし始める。
アイマラ族出身のガイドの青年から、湖畔に住んでいたウル族たちがスペイン人に責められて湖に住むようになったと聞いたが、15世紀の第9代インカ皇帝パチャクテックに攻め入られ、ティティカカ湖の浮島に逃げ込んだ等の諸説があるらしい。既に湖に住む民はいたが、湖畔に住む人々もスペイン人の攻略を受けて湖上生活を余儀なくされた、といったところだろうか。
葦、トトラで作られた舟に揺られながら、思う。
人間は考える葦。自然の中では最も弱いものだが、考えるという行為によって宇宙を超える、とパスカルがフランスで沼地に生える葦を見ながら思いに耽っている時にも、アンデスの奥地、標高3850メートルのティティカカ湖では、当時の権力に追いやられた民が葦を使って島を作り、そこに居住していた。そして、その生活は今も続いている。
波もなく、静かにゆったりと舟が進む。一緒に乗り込んだ島の男の子が「さいた、さいた。」と口ずさむ。誰に聞かせるということでもなく、とても自然に。「ちゅーりっぷのはなが」。いつもそこで止まってしまう。日本人の観光客が教えてあげたのだろうか。とても恥ずかしがり屋なのに、それでいて「さいた、さいた。」と皆の周りを歩き回る。
末娘バッタが船頭の女性に頼んでオールを握る。怖いもの知らず。何でも見てやろうとの精神。
数家族が住んでいると言う浮島では、観光客が数人ずつに分けられた。我々は一人の女性の家に手を引かれて招かれる。観光サービスの一環なのだろう。家といっても、小さな部屋に蒲団が敷いてあるだけ。それだけの生活空間。壁にはいくつもの洋服がぶらさがっている。4人家族と言っていたか。居たたまれなくなって、外に出る。すると、招き入れてくれた女性が手作りの織物、刺繍のタペストリーを広げて見せてくれる。
末娘バッタが値段交渉をやらせてくれ、と言うので、任せる。同じ大きさなのに、値段がそれぞれに違う。末娘バッタによると、欲しいと思われている作品には高い値がつけられているらしい。真剣な商談が展開される。先程の小さな空間に住んでいる女性は最初はウキウキとしていたが、そのうちに顔を曇らせ、悲しそうな表情を浮かべる。ああ、これでは勝負にならない。
別の女性が持っているタペストリーを母が気に入った様子。ここでも末娘バッタが値段の交渉。頑張る彼女に、女性は奥で遊んでいる少女の方を向いて、子供がいて大変なんです、と訴える。そう言われてしまうと、勝負はついてしまった。ママ、そんなんじゃダメだよ、と末娘バッタには呆れられるが、言い値を出してしまう。
子どもには弱い。特に、この地の子供達を見ると、幼いころの自分と重なってしょうがない。何故だろう。小学校の頃の友達の顔も重なる。母親にしても、ひょっとしたら長女バッタと同い年ではないかと思ってしまう。彼らが不幸などと決して思わない。そんな不遜な考えはない。それでも、彼等の日常を思う。湖の浮島の中だけの生活。閉塞感。水の臭い。
パスカルの言葉が改めて重みを持つ。
人間は自然のなかで最も弱い、一本の葦にしかすぎない。だが、それは考える葦である。彼を押し潰すためには全宇宙が武装する必要はない。蒸気や一しずくの水でも人間を殺すには十分だ。しかしながら、たとえ宇宙が彼を押し潰そうとも、人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬこと、また宇宙が自分よりも優れていることを知っているからだ。宇宙はそれについて何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。
湖上の民に幸多からんことを
ペルー紀行
第一話 インカの末裔
第二話 マチュピチュを目指して
第三話 真っ暗闇の車窓
第四話 静かな声の男
第五話 さあ、いざ行かん
第六話 空中の楼閣を天空から俯瞰
第七話 再び、静かな声の男登場
第八話 インポッシブルミッション
第九話 星降る夜
第十話 インカの帝都
第十一話 パチャママに感謝して
第十二話 標高3400mでのピスコサワー
第十三話 アンデスのシスティーナ礼拝堂
第十四話 クスコ教員ストライキ
第十五話 高く聳えるビラコチャ神殿
第十六話 標高4335mで出会った笑顔
第十七話 プカラのメルカド
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