ペルー紀行
第一話 インカの末裔
第二話 マチュピチュを目指して
第三話 真っ暗闇の車窓
第四話 静かな声の男
第五話 さあ、いざ行かん
第六話 空中の楼閣を天空から俯瞰
第七話 再び、静かな声の男登場
第八話 インポッシブルミッション
実際は当日の列車でさえ、午後からは運行していないことを旅行者から聞いて教えてくれたのは息子バッタであった。常に悲観的な発言をしがちで、ムードを下げるとして家族からはよく批判の対象になってはいたが、こんな時には彼の情報収集能力および客観的なコメントは大いに役に立った。
末娘バッタもあちこちから情報を収集。特にパニック状態に陥ることもない。母にしても、考えてみれば日本から長時間掛けてフランスにやってきて、息子バッタの卒業式に参加した後、すぐにまた長時間のフライトでリマに到着。慌ただしくリマからクスコに入り、その夜にはオリャンタイタンボにバスに揺られてやってきて、翌朝早くに列車でマチュピチュに到着。その足で夢のワイナピチュ登山を果たし、そうして、今度は列車の運休騒ぎで駅にいる。なんと凝縮した時を過ごしているのだろう。疲れた様子を見せずに、大勢の中で踏ん張って様子を見守っている。
ふと心配になる。母にとっては、今回の旅行の目玉はマチュピチュであった。そのマチュピチュに一泊もしないで、こうして駅で人混みに揉まれていることは、仕方がないにせよ、非常に心残りなことではあるまいか。明日はマチュピチュ登山が待っていた。山頂での朝日。そして、村での温泉。
母にそれとなく聞いてみると、大丈夫よ、大満足したもの、と満面の笑顔が返ってくる。確かに、ワイナピチュからの景観は息をのむ程の凄みがあったし、マチュピチュ遺跡にしても、数時間とはいえ、しっかりと見て回れた。満足度は最高点に達していた。
バッタ達にも聞いてみると、二人とも、マチュピチュもワイナピチュも大いに満喫したが、その為にペルーに来ているマミー(祖母)のことが心配だと言う。マミーは大満足しているみたいだから、大丈夫よ、と言うと安心したのか微笑んでいた。
漸く列車がプラットフォームに入ったと思えば、インカレールだと言う。インカレールもペルーレールも同じ駅を使うのか、と初めて分かる。二つの会社の列車が午後から動いていなのであれば、明日の乗車券、しかも明日の午後出発のものを持った我々が滑り込む余地はない気がしてきた。さっきは部屋代を払って出てきたが、あの宿はもう別の旅人を泊めてしまっただろうか。弱気になる。
これだけの人が待っているのに、立席という概念はないらしい。しかも、できるだけ空席を埋めようなど考えることもしないらしい。整理券を配るわけでもなく、一切の情報を発信することもない状況に、母は呆れかえってしまっている。そうして、空席を残して残酷にも列車は動いて行ってしまう。
そんなことが数回続き、その度に、我々にチャンスがあるのではと思って、できるだけ前に陣取ってプラットフォームにせめて出ようと駅員と押し問答をする。それでも、明日出発の乗車券を持っている我々に分があるわけがない。駅員たちも漸く合理化を考えるようになったのか、大きな黒板を持ってきて、列車番号を記し、その列車の乗車券を持っている人のみ、プラットフォームに招き入れるようになった。
段々と駅の構内にいる人々は少なくなってきた気がするが、どうやら、草地で横になって休んでいるらしい。先程別れたはずの静かな声の男も姿を現していた。一体、彼はどうやって入ることができたのだろうか。旅行会社のスタッフということで、村でも顔が知られており、旅行者が困っているからとでも言って、入ってきてくれたのだろうか。彼は特に我々の為にいるといった素振りはちっとも見せずに、それでも、声を掛ければ、相変わらずの静かな声で、大丈夫だ、とにかく前にいて、待て、と指示を出す。臨時列車が出ないことには、我々は乗れる見込みがないんじゃないか、と言うと、最終列車は車両が一つ増えている筈だと言う。そうか。とにかく、待つか。
その彼が、駅員と話をして我々を見ている。ひょっとしたら。ところが、どこにいたのだろう。ぞろぞろと団体が奥から出てきて、プラットフォームに入っていく。もうその頃には、さすがの駅の構内も閑散とし始め、あちこちに散らばっている持ち運び自由な椅子が所在無げに残っていた。明日の乗車券なのだから仕方がないか。もう何かを思考する力もなく、椅子にでんと座ってしまう。バッタ達も無言。
すると、今度こそ声の静かな男が手で合図をする。そうして、本当に今度こそ、我々に列車に乗る許可が下りる。どうやら席が空いているらしい。急いで行くように、と駅員が告げる。静かな声の男にちゃんとしたお礼もできずに、大声でありがとう!と言い放ち、皆で真っ暗なプラットフォームを駆け出す。夜11時を回っていた。
オリャンタイタンボ駅に着いた時は夜中の2時。そこにクスコの旅行会社のスタッフの女性が待っていてくれた。泣きそうな思いで彼女に抱きつく。ああ、ありがとう。
そこからマイクロバスでクスコまで。オリャンタイタンボ駅の宿、とも提案したが、どうやら夜移動した方が無難らしい。どこで、いつまた道路が封鎖されるか分からないらしい。真っ暗な闇をバスは慎重に進んで行く。あの標高3000メートルの場所を通って行くのかと思うと、ぞっとした。街路灯などある筈もない。頼りはヘッドライトのみ。
それでもエンジンの回転音が子守唄のように聞こえ、駅員や低い声の男が言っていたように、ちゃんと最終列車に乗れたことに漸く笑いが出る思いがし、夜8時に駅に着いた時はどうなるかと思い、人を頼ってあの場を離れてしまったことを大いに悔やんだが、しっかりと夕食をとり、腹ごしらえをしたからこそ、その後の3時間近い時間をひたすら立って待つことができたのだと思うに至る。3時間。もっと長い間、大騒ぎをしていたように思えた。
ふと目を覚まし、窓の外を見ると、暗闇の先に黄色と白色の粒が沢山きらめいていた。ゴッホの「星降る夜」のようだと思った。その粒は最初は小さな点であったが、どんどん丸く多くなってきて、遂には街の街路灯になった。こうして明け方の4時に我々はクスコに辿り着いた。
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