2017年8月19日土曜日

ゆく河の流れは絶えずして







今回の旅行を考えた時、母からのリクエストはマチュピチュのみ。せっかくだからナスカの地上絵もみたい、程度。

昨年、丁度今頃遊びに行った友人がマチュピチュに行っていて、彼女がばっちりと旅程を写真入りで書き記してくれていて、それが非常に参考になった。また、フランスに来た時から本当にお世話になっている日本人の友人が、矢張り数年前にマチュピチュに行ったというので、地球の歩き方を貸してくれていた。彼女は、せっかくならとボリビアのウユニ塩湖に行ったという。ただ、現地にフランスの外交官の知り合いがいて、彼等の車で各地を回ったとの話。きっと何度も読むだろうからと、地球の歩き方をパリの書店で日本の値段の3倍で購入。






本当にガイドブックは良くできている。とても魅力的に書かれていて、ここも、あそこも、と行きたいところが沢山出てくる。その一つがアルキパ、そしてコルカ渓谷だった。プーノまで行くなら、もう少し足を延ばして良いのではないかと思った。





年間を通じて雨が少なく温暖な気候に恵まれていて、フルーツの栽培も盛ん。街のいたるところから望める6000メートル級の高山。近郊には大渓谷があり、温泉も楽しめる。しかも、その渓谷たるやアメリカのグランドキャニオンよりも深いというではないか。グランドキャニオンに行っていないが、眩暈がしそうな程魅力を覚えた。アルキパから一泊のコルカツアーが出ているらしい。コンドルが空を飛ぶところを見る!なんてワイルドなんだろうか。「コンドルは飛んで行く」のメロディーが懐かしさを伴って頭をよぎる。





中学の時、音楽の教師から校内放送で呼ばれて室内楽のメンバーにさせられたことがある。本当は双子の妹に声が掛かったのだが、私の姿を見て、音楽の教師はちょっと驚いた顔をしつつも、まあ、やってみれば、とテナー・リコーダーを手渡してくれた。その時の曲の一つがアンデスのフォルクローレの「コンドルは飛んで行く」だった。

本当に毎日、仕事で大変だった。朝は6時に起きて出社し、夜の9時に帰宅。それから11時半まで家で仕事。大したことはしていない。ただ、通勤時間が長いことと、仕事の量が半端ではないことが、要因だった。

だから、と言い訳ではないが、気合を入れないと旅行の計画は立てられない。そして計画をバッタ達に説明し、相談、といった時間はなかった。
取り敢えずのアイディアを現地の旅行会社数社に投げ、返事の速さと内容を検討し、一社に絞り、プログラムを決めた。




母やバッタ達が、私と同じようにアレキパの街に惹かれ、コルカ渓谷に圧倒されるか、未知数であった。正確には、私自身が心揺さぶられるか、それさえも分かっていなかった。

プーノのホテルで、いや、厳密にはチチカカ湖を望む、他にはお店も何もない、プーノの中心からは小一時間も離れた村のホテルで、母が、これから標高が富士山の山頂よりも高いところを行くらしいことをガイドブックを読んで教えてくれた時には、声も出なかった。

勉強不足。準備不足。

バッタ達は標高の高さに一向に問題はなく、頭痛薬も特に必要としていなかったし、母は日本からの頭痛薬があるので大丈夫と言っていた。そこで、私の分のみ、プーノの薬局で頭痛薬を購入。箱ではなく、一錠ずつばら売りしていることに驚いた。






プーノからアレキパまではバス。6時間程度、今度はどこにも観光に寄らずに真っ直ぐに行く予定。息子バッタとiPadで映画を見ていた末娘バッタが具合が悪そうな顔で通路の向こうから手を伸ばしてくる。慌てて酔い止めを渡すと、何故か私と席の交換をしたがり、急遽交代。そうして、道中、息子バッタの隣に座ることになる。

バスは飛行機の国際線同様、座席の前に一人一人スクリーンがあり、映画や音楽、ゲームが楽しめるようになっている。映画は全てスペイン語だったが、何の問題があろうか。二つ、三つと、大いに楽しめた。気が付くと外は真っ暗。川が流れている様子だった。

と、息子バッタが、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と口ずさむ。「淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

インカ帝国の第4代皇帝マイタ・カパックが建設した街、アレキパ。あまりに美しいその様を見て、ケチュア語で「Ari qhipay(ここへ住みなさい)」と言ったという。これがアレキパの語源らしい。その街を1540年にスペインのフランシスコ・ピサロは制服してしまう。

そんな歴史に思いを馳せてなのか。インカ帝国の神殿を取り崩し、土台だけは使い、そこに教会を建設したクスコを見てきたからなのか。各地で遺跡を見てきたからなのか。

高校の最後の最後まで、息子バッタが日本語の勉強を続け、バカロレアの試験で比重の高い日本語を選ばざるを得ない状況に追いやったことに対して、忸怩たる思いをしていた。彼は理数系コースを選択していたが、最終学年に於いても国語および日本語による地理・歴史の勉強を続け、最終的にバカロレアの試験が課されていた。結果、日本語関連学科を除けば、平均点は満点近いにも関わらず、比重の高い日本語関連学科が大きく足を引くことになった。

分かっていた。人生は試験だけではないことを。彼の高校生活を豊かにし、友人たちにも教師にも非常に恵まれた環境を提供した、今の教育機関に通えたことに対して非常に感謝していた。

それでも、
試験の結果を見て、数字ではっきりと、日本語関連学科が彼の評価の足枷になった事実は、痛かった。

ところが、
南半球の、ペルーという国。その南部にある、同国第2の都市、人口約90万人程度のアレキパにて、鴨長明の方丈記の一節を口ずさむとは!

にんまりとする。
これから二年間、全寮制の教育機関で学ぶことを選んだ息子バッタ。力強く、確信をもって出航!









ペルー紀行
     第一話  インカの末裔
     第二話  マチュピチュを目指して
     第三話  真っ暗闇の車窓    
     第四話  静かな声の男
     第五話  さあ、いざ行かん
     第六話  空中の楼閣を天空から俯瞰
     第七話  再び、静かな声の男登場
     第八話  インポッシブルミッション
     第九話  星降る夜
     第十話  インカの帝都
     第十一話 パチャママに感謝して
     第十二話 標高3400mでのピスコサワー
     第十三話 アンデスのシスティーナ礼拝堂
     第十四話 クスコ教員ストライキ
     第十五話 高く聳えるビラコチャ神殿
     第十六話 標高4335mで出会った笑顔
     第十七話 プカラのメルカド
     第十八話 標高3850メートルの湖上の民




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