2017年8月4日金曜日

再び、静かな声の男登場






見晴らしの良いテラスで軽いランチをとり、紫色のトウモロコシのジュース、チチャモラーダを皆で飲む。南半球であるから、今は冬だろうのに、標高が高いからか、いや、乾季だからだろう、汗ばむ暑さだったが、昔幼い頃に母が作ってくれた葡萄ジュースの色に良く似たチチャモラーダは、丁度冷たく、程よく甘く、疲れた身体に優しく、うっとりとする程美味しかった。このドリンクはユゴーのお薦めだった。


シナモン色の肌のせいか、真っ白な歯をのぞかせた笑顔のせいか、本当に爽やかで快活なユゴーは、ワイナピチュから一気に下山し、皆で登山口に正味3時間で戻って来た時、こっそりと、とても控え目に、母の年齢を尋ねた。なんと奥ゆかしく、洗練された態度ではないか。母の年齢を伝えると、彼がワイナピチュをガイドした登山者の中で最高年齢だ、素晴らしいと誇らしげに教えてくれた。そして、翌日はマチュピチュ山を登山すると聞くと、彼がガイドした最高年齢者は65歳であり、2時間半で登って下りて来たと教えてくれた。





マチュピチュ山へはガイドは必要としない。従って、特にガイドをお願いはしていなかった。それでも、ユゴーに来てもらえまいか。マチュピチュ山の登山口は彼に既に教えてもらっていた。結構急な斜面を一気に登り詰めたところにある筈だった。ただ、ケチュア族としての誇り高き彼からのインカ帝国の歴史や、草花の名前や由来についての話に耳を傾けながらの登山は、非常に興味深く、感銘を受けるものであった。母も同じ意見だったので、ユゴーに明日の予定が合えば、できたらマチュピチュ山の登山のガイドをお願いできないかと聞いてみると、非常に律儀に、先ずは旅行会社に希望を出して欲しいと伝えてきた。そんなところも、ユゴーらしい。ますますファンになってしまう。


午後はゆっくりと、しかし、容赦なく降り注ぐ暑い日差しの下でマチュピチュ遺跡の見学となった。一通り、大きな本まで片手にして説明して回ってくれたユーゴは、後は好きなだけいらしてください、と告げた。夕日に染まる様子も見てみたいとの思いも頭に掠めたが、何せ翌日も早朝からマチュピチュの登山が待っていた。6時半に登山を開始すれば、山頂で朝日を拝むことができるとユゴーが言うので、それもとても楽しみだった。ペルーに到着してから、とにかく毎日が朝の3時や4時起きが続いている。ちょっとペースダウンをし、この辺でアグアスカリエンテス村に戻り、宿に行き、温泉を楽しんでもいいのじゃないか、と思えてきた。


午後3時。アグアスカリエンテス村行きのバスに乗ろうとする人々で道は一杯になっていた。翌日は、午後3時のペルーレイルでクスコまで戻る予定になっていた。午後1時にはどやら列を作った方が賢明だと頭にメモる。真っ白な大きな花が目に入る。すかさずユゴーが、眠り姫の花であることを教えてくれる。どうやら口にすると、二、三日は眠ってしまう作用があるらしい。






のんびりと宿にたどり着く。ちゃんと4人の鞄が保管されていて、一安心。朝の静かな声の小柄なアシスタントの男性の顔を思い出し、すごいなぁ、と正直感心してしまう。ちゃんと届けていてくれたことに、心から感謝。






宿は、正直サイトで見たものよりは見劣る気がしたが、母は念願のマチュピチュ遺跡を堪能し、ワイナピチュ登山を果たした満足感に浸っていたし、バッタ達も天空からの壮大な景観に圧倒されて興奮していたし、一年以上も前からの計画が漸く実行されたことへの安堵と、誇り高きユーゴとの出会いや、想像以上の景観の素晴らしさに私自身も大満足であった。


部屋は小さなテラスがあり、そこからウルバンバ川が望めた。さあ、お茶でも、と思ったところで携帯が鳴る。リマにある旅行会社に違いない。教員のストにより日程に狂いが生じ、思わぬホテル代の出費が痛いが、素晴らしいガイドを紹介してくれたこと、アシスタントの方がこれまた素敵な人であることを伝え、お礼を言わねば、と元気に出る。話していくと、どうも、こちらの首尾を聞くための電話ではないように思われた。既に耳に入っているかもしれないが、と、電話の相手は話を続ける。


なんと。教員のストの動きが山場を迎え、鉄道封鎖作戦をしているとのこと。明日から二日間は鉄道が不通。あと二日間はマチュピチュから動けそうにないので、こちらでホテルを予約しなければならないこと、クスコからプーノへの観光バスには時間的に乗れそうにないので、プライベートバスを出すので新たな費用が発生する事、そんなことを一気にまくし立てられた。


そんなことがあって良いのか。
半信半疑とは、このこと。それでも、今までの興奮が一気に飛び去り、冷静になる。ちょっと待てよ。マチュピチュで新たに二日宿泊となれば、クスコのホテルの二日分をキャンセルしなければならない。こんな直前のキャンセルであれば、いくら何でもホテルからキャンセル料が取られるだろう。しかも、プーノまでプライベートバス?一体幾らになるのか。頭がくらくらしてくる。既に一泊分のホテルの変更をしており、二部屋を使う我々に取り、新たな宿泊費とキャンセル費は馬鹿にならなかった。


それでも、事実は間違いなく目の前に横たわっていた。


ここは腹を括るしかない。早速、この宿の受付に行って、二部屋、二泊追加で予約をお願いしよう。


受付の男性は、ユゴーと同じ肌の色はしていたが、どうものんびりとしている。分かっているのか、分かっていないのか。こちらが焦っているのに、ちっとも本気にしてくれていない。電車が動かなければ、クスコから来るお客さんが二日間もないということに、ちっとも驚いていない。そして、コンピューターの予約画面をのぞき、のんびりと、明日は満室なので、無理だと言う。


そんなぁ。他にどこか紹介してくれないか、とお願いすれば、どうやらチェーン展開しているらしく、そこに電話をしてくれる。が、一向に通じない。それなら、と近くなので歩いて行こうと言ってくれる。状況を説明し、一緒に慌てている末娘バッタを連れて、この、のんびりとした受付の男性と一緒に、別の宿に行くことにした。


歩く道々、状況を改めて説明するが、全く動じていない。そんなものなのか。ラジオを聞くでもなく、テレビがあるわけでもない。情報社会が当たり前の生活をしているからか、大いに違和感を覚え、イライラする気持ちを抑えられない。彼が連れて行ってくれた宿でも、どうも部屋はないようだった。それなら、状況確認の為に駅に行こう、となる。


受付の男性は、駅まで一緒に行ってくれる。そうして、もしも列車が運行しないのであれば、2時間歩けば別の村に行け、そこからなら車が出てクスコまで行けるだろう、と教えてくれる。登山用のリュックだけではなく、大きなカバンを担いでの2時間。できなくはないか。一体それが現実的な話なのか、本気で言っているのか、この男性の話し方は分かりにくかった。ただ、一緒に宿や駅まで案内してくれるなど、大変親身になってくれていることは確かだった。


駅は混雑している様子だったが、窓口は拍子抜けするぐらい誰もいない。明日の午後3時の乗車券を持っているが、どうも運行しないと聞いている。実際、どうなのか、と聞くと、明日は一切運行しないので、兎に角今の乗車券をすぐに次の列車の乗車券に交換し、できるだけ早くここを出てクスコに行くように、と勧められる。ここで、リマの旅行会社の情報が正しいことが分かる。


慌てて全速力で宿に戻り、4人分の乗車券とパスポートを持って窓口に行く。と、今度は、乗車券の交換はできない、という。そして、いつ列車が発車するのか分からない、と、要領の得ない話をする。先程、すぐに今日中に列車に乗るように言われた、と言えば、今日中にクスコ行きの列車に乗れることは確かだ、しかし乗車券は出せない。詳しいことは7時になれば分かるので、午後7時にもう一度来てくれ、と言われる。そして、大丈夫、と言われる。何が大丈夫なのか。全く要領を得ない。間違いなく今日の列車に乗れる、と一言書いてくれないか、と言えば、そんなことはできないが、大丈夫だ、の繰り返し。


今度は荷物を従え、一泊代を支払い(この時まで、受付の男性は明日はマチュピチュに登るものと思っていて、バスは5時半に並ぶようにとアドバイスまでしてくれた。宿代を払うと言うと、ぎょっとされる。電車が出ないって駅で話を一緒に聞いたではないか。翌日の宿がないことも知っているはず。どうも要領を得ない)、4人でぞろぞろと駅に行く。すると、今度は午後8時にもう一度来てくれ。今は何もわからない、と言われる。


どこからか、今朝の、静かな声の小柄なアシスタントの男性が現れる。状況を説明するまでもなく、午後8時まで乗車券を交換しておくから、どこかで夕食でも取ってくるように、と言われる。朝、バス運行会社とうまく交渉し、すぐのバスに乗せてくれた彼の言うことなら、信じられる気がした。状況を考えると、チケットを交換し、早目の列車でクスコに帰りたい人は大勢いるだろうから、本当に大丈夫と分かるまでは動かない、と息子バッタは主張したが、ここはアシスタントの男性に任せよう、となる。取り敢えずは、腹ごしらえをしようよ、と。


その判断が今では、矢張り正解であったことが分かる。しかし、8時に戻った時には、大失敗であったと真っ青になった。







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