2023年8月7日月曜日

8月7日に思う





 


今年の夏、末娘バッタは念願の日本留学とはならずも、4ヶ月という短期間ながら大学院の研究室でインターンシップをすることができている。学部こそ違え、我が母校ともなると、非常に晴れがましい思いを禁じ得ない。


入学した当時を思い出さずにはいられない。九段下にある武道館での入学式に来てくれたが、帰る道すがら母と立ち寄った北の丸公園で、歩くのがやっとだったと後から母から聞いて、入学に有頂天でちっとも気付いていなかった自分に愕然とした。しばらくして、再入院となってしまった。入院先では、私の入学式のことを随分と看護婦さんや他の患者さんに自慢げに話していたらしい。当時はそれが恥ずかしかった。


父には、三人のバッタ達の父親を紹介することができなかった。当時、知り合ってもいなかったのだから無理もないこと。だから三人のバッタ達は、日本のパピーには会っていない。彼らの胸にある日本のパピーの存在はどんな風なのか、いや、果たして存在自体あるのだろうか、知る由もない。そう、思っていた。


ところが、ところが、である。


コロナ禍や色々他にも要因があって数年日本に行けていなかった長女バッタが、この夏に東京で開催される統計とエコノメトリックスの国際フォーラムに参加することになり、バカンスも併せて3週間日本に滞在することになった。加えて、息子バッタが、高校時代の友人3人と一緒に日本にバカンスに遊びに行くことになった。


末娘バッタがインターンシップを終えてフランスに帰る前日の早朝に、息子バッタが羽田に降り立つ。バッタ達3人が日本で一緒にいる期間は1日だけ。その日に、信州にあるお墓参りに皆で行きたいとなったのである。バッタ達の自発的な願いであり、若者らしい無謀とも思われる計画であった。


それでも、母は喜んで一緒に連れて行ってくれることになった。お寺さんでご住職にお会いし、読経をあげていただき、お墓に行って、皆で拝む。そして夕方には東京に戻り、末娘バッタは東京で最後の夜を過ごし、翌朝早くに羽田からフランスに向けて発つ。


日本の母のことは大好きなバッタ達だが、どうしても3人一緒になればフランス語で話をして盛り上がってしまい、勝手にあっちこっちに行きかねず、母に面白くない思いをさせないかと、ハラハラしてしまう。気を付けるように十分と言っておかねばなるまい、と思っていたのだが、なんと、なんとなんと!


ここにきて、台湾に住む妹が急に東京に用事が出来て、台湾からジョインすることになったのだから、驚き、嬉しく、飛び跳ねてしまった。これは、ひとえにご先祖様のお力添えに他あるまい。ありがとうございます。


先日、息子バッタからは、一日だけでも皆と一緒になるようなフライトにしたので、非常に割高になったことを伝えられ、そうしてでも皆で一緒にお墓参りに行ってくれるのかと、胸が熱くなった。


人は死により肉体は滅びても、魂はしっかりとこうして我々の心の中で存在し続けている!


8月7日、父の祥月命日。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏



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