2011年10月19日水曜日

闘志を燃やせ


この年齢の子供達に挫折感を味合わせたくないと思っています。この年頃はとっても多感で傷つきやすくもあり、変にぐれても欲しくないですし。。。

もうすぐ10歳になる末娘バッタのクラス会で。教師の言葉は続く。

ですから、試験は、試験と言っても極簡単な、授業中で既にやったことの復習ですが、年に23回に留めたいと思っています。勿論、テストの点数だけが評価の対象ではなく。。。

え?既に違和感を感じていたが、ここで大きく膨らみ、むしろ教師への不信感になってしまう。一体、年に23回の試験だけで、後は何で評価するのか?普段の授業態度?そんなものは、全く主観的な評価ではないか。

私の心に膨らんだ不信感や猜疑心など一向に気づかずに、教師の話は続く。

百人一首もできるだけ多くの少人数のグループに分け、ゲーム感覚で沢山の試合をしたいと思っています。一人勝ちの展開にならないように、出来るだけ全員が勝つ様な仕組みにしたいと思っています。

非常に居心地が悪い。昨年、百人一首大会でクラス一になったのは末娘バッタ。昨年2位になった子のお母さんが、すかさず小さな、しかし良く通る声で、昨年の優勝者として末娘バッタの名前を周囲の保護者に告げる。

そういえば、その惜しくも2位になってしまった子は(確か1枚違いと聞いている)、大会の前日に、「たとえあたしが1位になっても、ずっとお友達でいてね。」と末娘に伝えたとか。

だが、待てよ、待て。

テストで悪い点を取ることが挫折感につながるのか?カルタ大会で入賞しないことが挫折感につながるのか?

ちょっと違うのではないか。

この教師は『挫折感』の定義を履き違えている。

そもそも、小学生の単元テストの点数が採れないことで、挫折感を味わうか?我が子たちは、そんなちっぽけな夢しか抱けないと思われているのか?腹立たしくさえなってくる。

大体、国語の単元テストは授業をそれなりに真面目に聞いていれば、そこそこ点数が取れる仕組みになっている。教科書の教材そのものが出題されるのであるから。いわば、確認テスト。勿論、海外に住んでおり、日本語に接する機会がない子どもたちにとって、そんなに簡単なことではない。ただ、取り敢えずは授業で習っている内容なのである。

そして、カルタ大会。

別に私が百人一首に特別の思い入れがあるからではなく、実際に3匹のバッタ達との経験から言えることとして、百人一首は制覇できる。それは努力に尽きる。

バイオリンと一緒。何度も、何度も、意味が分からなくとも(今の時点で、バッタ達が百人一首の意味が全部分かったら、それはそれで、親としてちょっと、いや、かなり居心地悪いが)、繰り返し読み、聞き、取ることで学習。

その努力を、当人達は決して努力とは思ってはいない。勝つため、遊ぶため、何度も、何度も挑戦する。

勿論、母親は手加減などしない。ほ~ら、見たことか、と、ぼんやりしているバッタ達の目の前で、ばしっ、ばしっ、と取り続ける。一枚も取れずに涙も出ずに呆然とするバッタ達。

そうして、いつの間にか、バッタ達は知らずに闘志を燃やす。いつか、あの母親を負かしてやろう、と。いや、先ず最初は、長女バッタが標的となる。息子バッタと末娘バッタが結託し、長女バッタを蹴落とそうとする。

挫折感がどうの、などと言っていないで、子供達に闘志を燃やすべくご指導いただきたいものだと、鼻息荒く思ってしまう。


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皆様からのコメント心よりお待ちしております。

2 件のコメント:

あかうな さんのコメント...

で、まさか、そのまま先生にお話になって帰ってきたわけではないですよねえ。なんだか心配になってきました。なんちゃって。私もまったくクッカバラさんの意見に同意しますね。社会に出たときにどうするんでしょう。やっぱり日本は出た杭は打たれる、なんでしょうかね。。。バッタ君たちよ、大志を抱け。

kookaburra さんのコメント...

あかうなさん

まさか、まさか、です。そうは申し上げませんでした。私ら子供時代はドングリの背比べじゃないですけど、競争社会でしたよね。でも、今は皆が手を繋いで仲良く、、、。こんなんで厳しい世界でどう生き抜いていくのか。

ま、保守的になって、昔は良かった、などと申したいのではないのですけど。

バッタ達への応援、ありがとうございます。